そばにいたい

「……雨、やまないね」
「そうですね」
「ほんとにもう、うんざりだよ」
 雨樋から雨が滝になってぼたぼた落ち、地面に穴をあけるのを、ただ見ていた。何日にもわたるひどい豪雨に、僕たちは何日も足止めを食らっていた。今日の旅籠もぼろくて、風が吹くたびにミシミシ音を立てる。それだけでも不快なのに、あちこちからぺちゃくちゃ、ぺちゃくちゃ、絶え間なく人の声が聞こえてくるのも苛々する。加えてざあざあ、ざあざあ、ひどい雨ったら。たわみそうな壁にもたれて、僕はちらりと背後に目をやった。雨風よりも雑音よりも、もっともっと気になって、気になって仕方のないものは。
「まあ、でも、『雨の中を歩くのもまた修行のひとつ』とか言い出さなくて良かったとは思ってるけどね」
 小さな部屋の真ん中に、いつものごとく何を考えているかわからないような顔で行儀良く座っていたアキラは、不意ににっこりと笑った。
「あなたからその言葉が出て良かった。では、出発しましょうか」
「冗談はやめてよ」
「半分は本気だったのに、残念ですね」
 アキラは肩をすくめて、元通りすました顔に戻った。僕は心の中で大きくため息をついて、また木戸の隙間から外を見る。地面がぬかるんでその上が川のようになって、それでも大量の水が空から落ちてくる。こんなふうに泣ければいいのに、とふと思った。何を考えているのかわからない相手と一緒に居るのは、時々とても苦しい。たぶん僕のことは嫌いじゃないと思う……時々見せる優しさや思いやり、僕を支える手のひらとか。きつい言葉の裏側にある、嘘のないこのひとの思いとか。でも、どこまでが素直な君でどこまでが作られた君なのかが全然わからない。僕はその境目がわかるほど君のことを知らない。君が、見せてくれないから。
 雨のように大声を上げて、泣きたい。
 君の側に居るから、僕はこんな思いをしなくちゃならないんだ。でももう僕には帰るところなんて無い。このまま壬生に帰ったところで、僕はいたたまれない思いのまま、どうやって過ごせばいい?どうせどこに行っても居心地が悪いのなら、相手が君一人の方がまだまし。ううん、ずっといい……とは思っても、それでもやっぱり、余計なことを考えてしまう。
「何を考えているんですか、時人」
「そういう質問、ずるいよね」
 こういうときに笑みを浮かべるのがアキラの悪いところだ。
「なにがどう、ずるいんです?」
「わかってるくせに」
 何もかも見透かされてるんだと思う。それが悔しい、このことでも僕は君に勝ったことがない。いつか僕が勝ってやる、そう思って必死でついていく僕、それをわかっていて何も言わない君。たまらなく悔しい。
 雨脚が強くなる。水はこぶしになって雨戸をどんどん叩く。隙間から吹き込むしずくがひどくなって、僕はもう耐えられず木戸を引いた。耐えられないのは沈黙と、手持ち無沙汰。けれど扉を閉めてしまうと、いよいよやることが無くなってしまう、もう外を眺める理由さえ無い。でも、振り返って君を見るのはもっと悔しい。もしも僕が雨と水だったら、君のことなんかなんにも気にせずに叩くだけの側に回れるのに。こんなふうに、とりとめもないことが頭に浮かんでは消える。君に背を向けたままで、僕は動くこともできないで。
「言ってくれなければわかりませんよ」
「僕の口からは言わないよ。それでわからないって言うんだったら、もういい」
「私が何を考えているのか知りたかったら、素直にそう聞けばいいだけなんですけどね」
 ほら、やっぱり、わかってた!僕は思わず振り返って睨みつけた。アキラは涼しい顔のまま、少し首を傾げてみせた。
「あ、やっぱり、当たってました?」
「当たってたら答えてくれるの?」
「あなたの態度次第ですね」
 アキラはにこっと笑い、あごに指を当てた。
「少なくともずっと黙ったまま察しろというのは、あまりにもわがままにすぎる」
「だって何を言ってもはぐらかされるんだもの」
 僕はうつむいて爪先を指でいじった。君にはわからない。
「僕がそばにいるのは鬱陶しいと思っているんだろうし」
 しぼりだすように吐いた言葉に、君は首をかしげた。
「どうしてそんなふうに思うんですか?」
「違うの?そうなら違うって言ってよ!だって、僕は」
 声になんだか涙がにじんだ。熱い血がのどの奥からせり上がってくる。本当は、僕がここに居るのが煩わしいんでしょう。中途半端に優しくなんてしないでよ。笑いながらからかったりしないでよ。
「僕がここにいるのは」
 こんなに疎まれていても、どんなに嫌われていても。帰るところも行くところもないから君のそばに居るわけじゃない。いつか必ずもう一度死合って、僕の方が強いってことを証明したいから、だから、……だからこれだけは言ってやらなくちゃ!
「ただ……ここに、君のそばに居たかったから!」
 アキラに向き直って、無我夢中で叫んだ。
「もう一度戦ってくれても、くれなくても。アキラ君がどう思っていても、僕のそばに居たいと思わなくても」
「そうですね。たしかにそんなふうには思いませんが」
 僕は言葉を失った。
 もうだめだ。
 もう一緒には居られない。
 そうと知ってしまったら。ぼろぼろと涙があふれた。もう僕には何もない。大切な最後のひとかけらが、指の間からこぼれて落ちた。
「泣くことはないじゃないですか」
 こんな時なのに、アキラはクスリと笑って僕を手招きした。
「時人。冷たい窓際なんかに座っていないで、こっちの座布団に座ったらいいでしょう」
 アキラは自分の隣に一枚の座布団を引き寄せて、ぽんぽんと叩いた。
「……そばには居たくないんでしょ」
「それはそうですがね」
 少し笑って、また手招き。なんとなく抗えずにのろのろと歩み寄ると、アキラは僕の袖を引いて座らせた。
「あなたのそばに居たいと思った事なんてありませんが、あなたをそばに置きたいと思った事ならありますよ?」
 がっしりとした大きな手が、僕の頭に置かれる。その重みに涙が止まらない。
「……馬鹿っ!」
「それはこちらの台詞ですよ、可愛いお馬鹿さん」
「すごいむかつく。やっぱりそばになんて居たくない」
 ああ、なんて情けない僕の涙声。なんて温かい君の声。
「だめです。わかってるでしょう?」
 なんでいつもこんなにずるいんだよ。ひどいんだよ。そして、ぼくはなんという人を選んでしまったんだろう。地団駄!涙を拭く暇も惜しく、僕はアキラを睨みつけた。
「じゃあ教えて。今、何を考えているの?」
「素直に聞いたからと言って、私も素直に答えるとでも?あなたになんか教えるわけないじゃないですか。今私がどれくらい嬉しいか、だなんて」



「俺様に捧ぐ台詞」 恋したくなるお題より
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