どこまでもついていくよ

 山の中、道なき道を草を枝をかきわけ進む。落ちていた小枝であちこちにかかる蜘蛛の巣を払いながら、まるで世界が見えているような軽やかな足取りの、君の背中。木々の重なりの間に、ふと見える抜けるような青空が、鏡のように僕の目を射抜く。なんて眩しい。
 朝からどれくらい歩いたのか。結構歩いていると思う。でも、壬生を出てしばらくのころは……こんな刻まで歩いたら、あっという間に足が痛くなったような気がする。さっきからチラチラと差し込む日の光は、もう大分高いように思えた。昼を過ぎるか過ぎないかくらいか。
 思えば壬生の地では、時間なんかあんまり意識しなかったかも知れない。少なくとも、今ほど明確に、朝は朝、昼は昼、夜は夜っていう感じじゃなかった。どうしてだろう。というよりも、なんで今は、こんなにも時間がくっきりと感じられるんだろうか。
 ふと僕は目を上げた。アキラがだいぶ遠ざかっている。
「待ってよ!」
 背中が一瞬震え、笑っているように見えた。ううん、絶対笑った。僕は小さな坂を飛び降りて、追いかける。身体が軽い。
「待って、って、言ってるでしょう!」
「ちゃんとついてきていれば、そんなことは言わなくても済むでしょう?」
 息も切らせず駆け上がり、横に並んだ。
「速すぎるんだもの。僕が道を知らないと思って」
「あなたが居ようが居まいが、歩く速度を変えたりはしませんよ。そんな面倒なこと、する訳ありません」
 別に、どうだっていい。どんな言葉が返ってきても嬉しい。その横顔に、ほんのり笑みが見えさえすれば。
「じゃあ、今度は僕が先に行くから」
「道を知らないんじゃありませんでしたっけ?」
「知らないけど、たぶんこれ猟師かなんかの道。踏み固められてる感じがするし」
 軽い笑い声。
「そうですか。それで?」
「辿っていけば、どこかには出ると思う」
「それはそうでしょうが」
 はっきりと笑い出したアキラ。僕は舌打ちした。
「だからアキラ君もここを歩いているんだろ?」
「そう思うなら、どうぞお先に」
 くすくす笑いを背に、僕は大股で歩き出した。と、盛大に大きな蜘蛛の巣をかぶってしまう。容赦なく笑うアキラから枝を奪って、大振りに枝を払いながら進む。
「そんなに笑わないで!」
「あなたと旅し始めてからこのかた、私は笑いっぱなしですよ。楽しい道連れというか、一人ならこんなに頬の肉が痛いほど引きつることもないというか、考えどころですね」
「馬鹿にしてっ」
 突然出てきた邪魔な木の根を力任せに踏みつけた、その途端。
「わっ!」
 あっという間に僕は1間ほども滑り落ちる。むきだしの木の根は腐っていた。僕は尻餅をついて思わずきょとんとした。が、しでかした失態にかあっと顔が熱くなる。背後からは、やっぱりと言うか何と言うかほんとにむかつく笑い声!
「いったいあなたは、どれだけ私を笑わせれば気が済むんですか!」
 ひょいひょいと脇を通り、アキラが僕の前に回り込む。身を屈めて僕を覗き込んで、にっこり笑った。
「まさか狙ってやっている訳じゃないでしょうね?」
「そう、わざとだよ。君を笑い死にさせようと思ってっ」
「やれやれ、あなたには最近いろんな意味でやられっぱなしだ」
 アキラは僕の腕をつかみ、振り払う間もなく僕を立たせた。
「触らないで。一人でも立てる」
「それでも危なっかしくて、見ちゃいられないんですよ」
 なんで君はそんなに嬉しそうに笑うんだろう。そう聞こうかと思ったけど、なんか急に気恥ずかしくて、僕はその言葉を飲み込んだ。
「この先は下りが続きそうだから、滑りやすい道も多くなる。私が歩いた後を行けば転ばずに済むでしょう」
「それで君が滑ったら、今度は僕が思いっきり笑ってやるからね」
「それじゃ今度は私がわざと転びましょうか。その方がもっと可愛らしいでしょうしね」
 なんで、なんでそんなことさらっと言うわけ?僕はアキラの背中を思い切りぶっ叩いた。
「ふざけないで!さっさと行ってよ」
「はいはい、わかりましたよ。ちゃんとついてきてくださいね」
 言われなくっても、どこまでもついていくよ。
 すぐそう思ったけど、言ってなんかあげないんだ。代わりに、歩き出したアキラの背中を、枝で小突いて急かす。いくらでも笑えばいいよ、僕と……僕と一緒に居てくれるなら。
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