酷暑も悪くない

「あーつーいー」
「……他に言うことはないんですか、さっきから」
「え?あるわけないでしょ」
 ぼくは苛立ちを隠さずに髪をかきあげた。生え際に細い髪が貼り付いて、うざったい。そこからまたひとすじ、ふたすじ汗がしたたる。
「氷出して、氷!」
「冗談じゃない。嫌です」
「ケチケチしないでよ、減るもんじゃなし」
 アキラの背中をひっぱたいた。
「減りますよ。うるさいですねっ」
 袖をひっぱたき返される。
「いくらなんでも、アキラ君は冷たすぎ!」
「ちょうどいいじゃないですか。暑い暑い言ってるんですから」
「そういう『冷たい』じゃなくって!」
 あんまりむかついたので、背中の鞘を掴んでやろうとしたけど、するっと躱される。
「こんな日くらい、少しは優しくしてくれてもいいと思うけど」
「私はあなたを甘やかしたりはしませんよ?梵じゃあるまいし」
 すたすたと淀みない足取り、その後ろ姿はこの日差しをものともせず涼しげで。
「ねえ、君はどうしてそんなに平気でいられるの?こんなに暑いのに」
「これくらい、暑さ寒さのうちには入りませんよ。まあ陰陽殿でぬくぬく暮らしていたあなたには、耐えられないほどキツいのかもしれませんがね」
 顎の下に手を当ててクスッと笑ったのが、後ろ姿からもわかる。言い返そうとしたけど、言葉が思い浮かばない。アキラの言う通りだった。僕は今まで壬生以外の世界を知らなかった。世界が暑いか寒いかなんて、僕には関係ないことだったのに。
 こんなふうに、いつも気づかされる。僕は本当に何も知らなかったって、打ちのめされる。こんなんじゃ、今アキラと戦っても勝てない。酷暑の中で、極寒の中で、どちらでもアキラはきっと平然としているのだろう。当たり前の話。
 悔しい、たまらなく悔しい。だから、追いつきたい。
「耐えるのもまた鍛錬ですよ」
 アキラが独り言のようにつぶやく。心を読まれたようで、どきっとして、それからほんとうにむかっ腹が立って。いくら僕がこの環境に慣れていなくたって……仮にも太四老だったこの僕が、いいようにいなされるなんて!首筋にまた汗が伝っていった。気に障る。
「でも、こんなこと続けてたら干からびるよ」
「そうなる前に止めますから大丈夫ですよ。私は優しいですから」
「こういうのは、優しいって言わないよ」
「え?そうでしょうか」
 肩をすくめてアキラが笑った。僕はうんざりしながら、また汗を拭う。
「君は、やっぱり冷たい」
「ええ、冷たい男です、私は。あなたが触れたら融けてしまいそうなくらいにはね」
「え?」
 急にアキラは歩を速めて、どんどん先に行ってしまった。待ってよ、と言う間もない。なんて言ったの。今、なんて言ったの?どういう意味なの?
「そうそう、急いで急いで!見えるでしょう、冷たい川がね?」
 遠くから、笑いまじりの声で僕を呼ぶ君。その向こうに、涼しい音を立てながら、日差しにきらきら光る流れ。喉が急に渇いたのは、水が呑みたいだけでもないはず。自然に足が動いてる。全速力で、駆け寄ってやる!


「組込課題・台詞:『冷たい男です、僕は。あなたなんか触れたら融けてしまいそうなくらい』」 リライトより
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