さくらさくら

 できるだけ、なんでもないように切り出したい。

 たとえば、適当な話のついでに、ふと思いついたみたいに、さりげなく、気がなさそうに、あるいはどうでも良さそうに。大したことじゃないんだけどね、という態度で何の気なしに口に出せれば。……そんなことをもう何十分も、何時間も、へたをするとここ数日ずっとずっと考えている。ああ、こんなだから僕はいつまでたっても君には勝てやしないんだ。いらいらする。同時にすごくみじめになる。だけど言ってみたいことがある。
 目を上げるといつもの背中。数歩先を歩く君は、こんなに近いのに。物理的には世界中で僕がいちばん君のそばに居るのに、言葉ひとつにさえ躊躇してしまう。悔しくて悲しい、悲しくて苦しい。でも、世界でいちばん君の近くに居るのは、僕。
「あ、桜が咲いてる」
 苦しまぎれの言葉にしてはあまりにも間抜け。馬鹿じゃないのか僕は。
「どこにですか?」
「もう少し先、道の向こうに」
 普通の返事が返ってきたのにホッとする。で、ホッとした自分に腹が立つ。僕は小走りにアキラを追い抜き、今度は遠く離れた場所からアキラを呼んだ。
「ここだよ」
「ほう、これは」
 近づくと、その美しい木はよりいっそう大きく見えた。アキラは近づいて幹に手を触れた。
「立派な木ですね」
「すごく、綺麗……だね」
 話のきっかけにしか思ってなかったことも忘れて、僕も同じように手を添えた。ほのかに温かいような感じがして、見上げると桜が一輪ほろほろと落ちてきて、小鳥が枝から枝へと飛び歩いていて、その先に薄く曇った空が見えて。
「なんかまだ寒いような気がしていたけど、もうこんなに咲いてるんだ」
「ちょっと早いような気もしますね」
「もうすぐ、4月だしね」
 なんでもないように、なんでもないように。僕は呼吸を整える。
「4月って言えば、アキラ君の誕生日も4月なんだって?」
「え?ああ、はい、というか灯が勝手に決めたんですけどね。だから私にとっては日付なんてさほど重要なことでもないです。まあ、灯の気持ちは嬉しかったのでそれはそれで」
 出鼻をくじかれた。
「でも、たまたまその日がゆやさんとかぶっていたのは驚きましたよ」
「椎名ゆや?」
 この名を聞くといつも心がざわざわする。薄く曇るものが僕の心にも垂れる。
「そう、ゆやさん。彼女も孤児だったそうですが、この世に生まれた日がちゃんとゆやさん自身に伝わっているなんて、孤児にしては珍しいと思ったものです。それとも椎名望がゆやさんを引き取った日だったのか、……興味は無くはないですが、いずれにせよ私には関係のない話ですしね」
「僕もあのひとのことは名前と顔くらいしか知らないし」
 これ以上椎名ゆやの話なんて聞きたくない。僕は無理やり話を変えた。
「それより、壬生ではこんな綺麗な桜、見たことは無かったよ」
「そうですか?私はありますよ。実に美しい桜をね」
「どこで?」
 単純に不思議に思ったので僕は聞き返した、のが間違いだった。突然の突風にきらきらと吹き散らされた花びら、アキラはその一枚を優雅に手に掬いとり、懐かしそうに微笑んだ。
「こんな花の嵐の中にいると、あのひとを思い出します。誇り高く美しかった、桜の女侍を。あのひとに会えて良かったと、こんな時には心から思うんです」
「誰、それ!」
「あなたの地位からするとたぶん話をすることもなかったでしょうね。五曜星の歳世とは」
 また、『名前と顔くらいしか知らない』女の話、しかもあんな微笑みを見せながらなんて!
 こんな思いをするなら、僕もアキラと戦った時に死んでいれば良かった。そうしたらアキラは、僕のことを懐かしそうに誰かに話してくれただろうか。それとも二度と思い出しもしないだろうか。どっちも嫌だ、吐き気がする。
「どうしましたか、時人?」
「……なんでもない!」
 なんでもないように、なんでもないようになんて考えていたら、こんなことになるなんて。やっぱり君は僕を取り残してはるか彼方のひと。悲しくて悔しい。悔しくて泣きたい。
「機嫌が悪そうですね」
「違うよ。ただ、風が強くて」
 目頭を押さえると、涙がこぼれた。アキラが僕の頬にすっと手を添える。
「触らないでよ!」
「砂が入ったのだったら、擦ってはだめですよ。涙で流さないと」
 こぼれた涙を柔らかい手ぬぐいで押さえるように拭われる。頬に触れる温かい手、優しく拭うもうひとつの手、君の両手に包まれてなんだか涙が止まらなくなった。悲しいのか、嬉しいのか、ホッとしたのか、なんだかいろいろよくわからない。なんだか今なら言えるような気がする。言ってみようか。なんでもないようになんかじゃなくて、素直に、聞きたかったことを。
「アキラ君。誕生日プレゼント、何が欲しい?」
「はい?なんですか、いきなり」
「4月17日なんでしょう?なんかあげたいと思ってたんだ」
 アキラは笑い、僕の頭をぽんぽんと叩く。
「お気持ちだけで充分です。と言うよりも、物じゃなくても、毎日何かしらあなたからは貰っているような気がしますしね」
「どういう意味?」
 アキラは僕の両頬を両手で挟んで、ちょっと乱暴にがさがさ撫でた。
「こんなふうに毎日表情がころころ変わって、日々楽しみをくれるじゃないですか。こんなに可愛いひとはほかにいませんよ」
「そんな言葉にはごまかされないっ!なにか欲しいものを言えってば!」
 アキラの胸板をぽかぽか叩くと、アキラは実に楽しそうに笑って、そして僕を軽く抱きしめた。一瞬のことに息が止まる。目の端に桜がまたひらひらと舞い、雲の切れ間に青空が。でも、それも見えたのは一瞬だった。僕は反射的に目を閉じて、ゆっくり君を抱きしめ返した。
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