眠り薬を下さい

 ほのかに甘い香りがするような気がした。身じろぎをすると、身体のあちこちが痛んだ。狂の最後の一太刀で、吹っ飛ばされて……そのあとの記憶が無い。
 ああ、私はまた、負けたのか。
「アキラ君?気がついたの」
 時人、と呼ぼうとして、声が出ないのに気づく。かわりに乾いた咳が漏れた。
「大丈夫?アキラ君」
「え、ええ、え……え」
 咳をするたびに脇に激痛が走る。思わず顔をゆがめる。と、ひんやりしたものが頬にさわった。手探りで触れると、それは時人の手だった。ゆっくり握ると、ぴく、と逃げようとする。離さずに、握りしめる。
「ここは、どこ、ですか」
「覚えてないの?」
 声が少し、ふるえていた。
「君がもう動けるって言うから、一番近くの旅籠まで来たんだよ?手当てしてたら、眠っちゃったんじゃない。もう夜も遅いよ」
 そういえばそんな気もする。あたりはしんとして、確かに深夜の気配だった。もう片方の手を伸ばすと、時人の肩に当たった。かまわず、抱き寄せた。
「アキラ!ちょっと、何する……の」
 どうしてそんなことをしたのかわからなかった。でもそんなこと、どうでもいい。冷たい手に相反して、時人の身体はぽかぽかしていた。ああ、そうか、私は寒かったのか。
「待って。すごく、身体が熱いよ?熱あるんじゃないの、アキラ君?」
「そうかもしれない」
 もっと強く、抱きしめる。ふんわりと匂いがして、甘い香りの正体に気がつく。温かい息が私の額にかかる。そのまま顔をうずめた。温かいものが唇に触れる。と、時人がはっと息を飲むのがわかった。
「……アキラ、待って」
「待ちません」
 温かかった。知らなかった。たぶんこんなふうなことは、生まれてから一度も無かったことだった。人の身体のぬくもりは、こんなにも優しかったのか。かけがえのない仲間はたくさん、たくさん居る。けれど、私はこんなふうに抱きしめたことも、抱きしめられたこともなかった。時人も私を抱きしめ返していた。私の髪を片手でぎこちなく、でもゆっくり撫でていた。それがとても心地良くて、それも私が初めて知る味で。

 一度知ってしまったら、もうそれなしには生きられない。

 女々しいような考えだと、以前の私なら笑い飛ばしただろう。でも、それは強がりの裏返し。自分が弱いと認めるのも、強さの一部だと今は知っている。そして、私のまだ知らない強さも、きっと世界にはあふれている。そのうちのひとつを、今、時人が教えてくれたのだ。
 今日くらいは、甘えさせてもらおうかな。
 時人の肌は眠り薬みたいに、唇からつたって私を満たした。えも言われぬ甘さに私は微笑んで、喉を鳴らして飲み込んだ。深い眠りを、期待しながら。
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