ススキ野原で捕まえて

 森を抜けると、いきなり広がる原っぱを見下ろしていた。
 一面に、銀色がべた塗りされていた。その時、風が、強くざあっと吹いて、銀色は波に変わった。どこまでもどこまでも、脈のように波が続き、その眩しさに僕は思わず目を覆った。
「なに、これ!」
「ススキですね。おや、知らないのですか」
 アキラはあごに手を添え、クスッと笑う。いつもの仕草。
「こんなの、……こんなの、初めて見たよ」
「壬生の地には、ススキはなかったんですか?」
「わかんない」
 思わず口ごもった。あったのかもしれない。でも僕は、たぶん見ようともしていなかった。こんなに世界が広かったことも、知らなかった。途端に、どうしようもなく悔しくなる。
「ってか、見えてないのに。どうしてススキだってわかるんだよ」
「見えようが見えまいが、わかりますよ。風がススキの上を渡るときの音は、いいものです。ほら」
 また、強く風が吹く。僕は反射的に目を閉じ、その音を聞いた。すると、銀色の絨毯が、さっき見たそっくりそのまま、まぶたの裏にぶちまけられる。幾重にも波が重なり、地平線の向こう側までも、どこまでもどこまでも。
 ようやく目を開けると、アキラはとっくに僕のはるか先、ススキの野の中を歩いている。僕は、あわてて追いかけた。
「ちょっと、待ってよ!先に行くなんてずるい!」
「さっさと来ないのが悪いんですよ」
 背中はつんと済ましているけれど、今、絶対笑ってる。走り寄って前に回り込むと、やっぱり薄ら笑いを浮かべていて、むかつくったらありゃしない。と思ったら、僕が文句を言うより先に、アキラは僕の肩をぽんと叩いた。
「で、どうでした?見えても見えなくても、いいものでしょう」
「……うん」
 ススキをかきわけ歩くと、意外と柔らかい穂がくすぐったく僕の頬に触れる。目を閉じても、開いていても、同じことだと感じた。ちょっと、アキラの事がわかったような気がして、余計にくすぐったい。
「目を閉じても、見えるものがあるなんて」
「これは殊勝なことを。明日は雨が降るんですかね」
 独り言に反応されて、笑われて、急に顔に血が上って、何か言い返そうとしたら、アキラがふと声を落とした。
「目を閉じても、見えるもの。というよりも」
 綺麗な横顔。うつむいてあごに手を当てて。いつもの仕草なのに、全く違って見えた。
「目が開いていた時よりも、目を閉じてからのほうがずっと見えるものが多い……」
「たとえば、なに?」
 動悸がする。君の秘密を、少しでも知りたい。
「自分の弱さとか、いろいろな人のいろいろな想いとか」
「それから?」
「……守りたいもの、とか」
 また、一陣の風が吹き抜けた。目の前でススキの穂が重なって、アキラの顔が見えなくなる。僕はアキラを見失わないように、急いでアキラの袖を掴んだ。
「一度は、世の中にはもう見るべき価値のあるものなんて何もないと思いました。でも」
「でも、何?」
 僕が重ねて聞くと、アキラはすっと顔をそらしてクス、と笑いを漏らす。
「そういえば、話は変わりますが」
「いきなり変えないでよ」
「私の目が最後に見たものは、あなたの姿でしたね」
 思わず言葉に詰まる僕に、気づいているのかいないのか、アキラは言葉を足した。
「まあ、それはある意味今も見えていますが」
「じゃあ、今見えないものって何?」
 できるだけ、なんでもないように、普通に聞いてみる。でも、心臓はものすごい勢いでバクバク言ってる。耳のいいアキラのこと、もしかしたらこれも聞こえちゃっているのかも知れない、でも、それでも。
「今見えないもの、ですか?今となっては、無いと言えば無いですね」
 しばらく思案した後、アキラはまたふっと背を向けて。
「もう私の目が二度と開くことはありません。だからこそ、最後に見た光景は一生忘れることは無いでしょうね」
 最後に見た光景。僕も見た景色。
「それより、急に風が冷たくなりました。降り出す前に、さっさとここを抜けてしまわないと」
 アキラが、足早に歩き出す。今度は、ついていくのが大変なくらいのペース。僕は必死でススキをかきわけながら、心のすみっこで、こうも思ってた。
『……僕も、すこしは自惚れてもいいのかな』って。
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