勝利の証

 今日もたくさんのたくさんの道を歩き、でも僕の足は不思議と軽かった。前よりも、心なしか、ほんとうに心なしかだけれど、長く歩いても苦にはならなくなってきた気がする。そんなことを言ったらアキラには笑われそうだから、言わないけど。
「少し休みましょうか」
 こんなとき、アキラはいつも僕の答えなんか聞かない。道の端っこに腰を下ろして、ゆるんだ脚絆のひもをほどいて結び直している。僕は自分の足もとを見下ろして、指先を動かした。いつのまにかもう、まめができることもない。僕は座ろうとして、アキラの袂から何かがこぼれているのを見つけた。
「なんか落ちたよ」
「はい?」
 くたびれた巾着の口が開いてはみだしたものは、古びたリボンと、そして……
「な、なに?これ!」
 つるりと流れ出した(少なくとも僕の目にはそう見えた)のは、誰が見ても美しい長い黒髪だった。こよりで束ねられたそれは、指の間を艶やかに縫って落ちる。
「ああ、それですか。返して下さい」
「なんだよ、これ!」
「いいから返しなさい」
 なんだか僕は焦ったような気持ちになって言い張った。
「教えてくれたら返すよ」
「ふう。まったく面倒な人ですね、あなたは」
 アキラは軽く左右に頭を振った。
「それは私にとって勝利の証です」
「しょうりのあかし?」
 僕はぽかんと口を開いた。
「そう。リボンの方は、十二神将がひとり真の宮毘羅に勝利した時のもの。ああ、でもこれはいつか壬生を訪ねることがあるのなら、そのときに安底羅へ渡した方がいいのかも知れませんが」
「なんで?」
 アキラは僕の方へちらっと顔を向けた。
「真の宮毘羅“も”、娘を守るために死んだからですよ。髪もあったのですが、同じように塵になってくだけてしまいました」
 僕は絶句するしかなかった。アキラは僕からひょいと袋を取り上げ、元通り懐にしまった。
「髪の方は出雲阿国のもの。彼女は私の前に自分の命を投げ出してきた……だから、遠慮なくいただきました。“女の命”である見事な黒髪をね」
 なぜか、ぞくっとした。アキラは今あごに指を添えてほほ笑んでいる。それはいつもの仕草なのに、すごく……すごく、
「どうしましたか?時人」
「……なんでもない」
 僕は顔を背け、すとんと腰を下ろした。心臓が早鐘を打っていた。僕はアキラのあんな顔を今まで見たことがない。追いかけても、追いかけても、四六時中そばにいても、それでも理解できないことばかり。思わず胸を手で押さえた。アキラが僕にあんな顔を向けたことはない。だいたい出雲阿国って誰?聞いたことはあるような気がするけれど、顔までは思い出せない。けれども女性であることは間違いない、さらりとたなびいた時にかすかに立ちのぼったあの香気。いったい誰なんだよ。どんな女なんだよ。
 聞いてみようかと思ったけどやめた。自分が惨めな気がしたから。
「それはそうと時人。いらないんなら仕舞いますよ」
 我に返って顔を上げると、アキラが不審そうに首を傾げ、塩豆をのせた右手を差し出している。僕は無言でそれを数粒つまみ、口に放り込んだ。やたらガリガリ噛んでみたけれど、ぜんぜん味がしなかった。
「僕からは?」
「何の話ですか」
 僕は苛々を隠して、普通に聞こえるように言った。
「アキラ君は、僕からは何も取らないの」
「え?ああ、そんなこと思いもよりませんでした」
 僕は少し傷ついた。でも、アキラは一言付け足した。
「というより、要らないですね」
「どうして」
「あなたは私に、毎日もう一度戦えって言ってくるでしょう。考えてみれば、それがそのまま私の勝利の証かも知れません。だからあなたからは、物としては何も要らないんですよ。あなたがそこにいるだけでいいんです、たぶん」
 びっくりした。アキラが一瞬、見たこともないくらい優しく微笑んだから。でもそれも束の間、アキラは馬鹿にしたように肩をすくめた。
「わざわざ髪のためだけに大人の姿に戻ってもらうというのも馬鹿げてますしね。それとも、なにか私に貰ってほしいものでもあるんですか?」
「そういうわけじゃないっ!」
 真っ赤になって僕が言い返すと、アキラは意地悪そうに笑った。悔しくてつかみかかるも、ひょいと避けられる。
「さて、おふざけは終わり。そろそろ行きましょうか、私の“勝利の証”さん」
 ……アキラ“の”。
 僕は恥ずかしさで唇をぎりぎり噛みながら、さっさと歩きだしたアキラのあとを追った。
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