今なんて言ったの?

 復興中の壬生城下町を見下ろす高台に、その建物は作られていた。綺麗に磨き上げられた木の廊下は、歩くたびにつるんと音を立てそうなほどピカピカだ。
「ほんとにこっちなの?アキラ」
「庵一家がそう言っているんですしね。あ、ここでしょう」
 引き戸をなんとなく恐る恐る引くと、その部屋は真っ白だった。壁が一部の隙もなく白く塗られていて、整理された大きな机がそこかしこに、そして様々な実験器具がきちんと並べられている。壁の本棚には綴じられた紙の束がぎっしりと詰まっていて、たぶんその中にはひしぎのレポートも大事に保管されているのだろう。ここがその遺志を受け継いだ、研究室か。
「灯?居ますか?」
「もう水舞台の方へ向かって行っちゃったんじゃないの?」
「いや、まだ誰かいますね」
 アキラに続いて僕も灯の実験室の中に入った。窓が開いていて、唐紙がパタパタ鳴っている。端っこの机に、如何にもこれから出かけますよというような、赤い上着が支度してあった。これはもしかして、と思った瞬間、予想通りの声が飛び込んできた。
「あー!アキラー!」
 隣の部屋から飛び出したアンテラが、アキラに走り寄って、抱きついた!
「アキラ、久しぶりねー!」
「ああアンテラ。やっぱりあなたでしたか」
 アキラはアンテラの頭をポンと叩いた。僕にはめったに見せない、優しい微笑み。何だよ!これ!
「元気そうですね、アンテラ」
「アキラも元気そうね!ねえ、私達これから水舞台に向かうの。アキラも一緒に行こっ」
「私達?ああ、あなたもいらしたんですね」
 振り返ると、サンテラもそこにいた。
「アジ……じゃなくて、アキラさん!あっ、と、時人様っ!」
 思いっきり引きつった顔をされて、僕はなんかムカっと来た。アキラはサンテラにも穏やかな顔を向ける。
「あなたたち二人で灯を手伝っているんですってね、サンテラ」
「は、はいっ。灯さんはいつも優しいですっ!」
 そんなこと聞いてないっていうのに、サンテラはいきなり弾けるような笑顔になった。アキラは軽い微笑みを崩さずにいて、手はアンテラの肩と頭にそれぞれのせて……だからどうだっていうんだ。別になんとも思っていやしない。なんとも思ってないったら!
「ね、一緒に行こうよアキラ」
 アンテラがにこにこ笑ってアキラの袖を引いた。アキラはまた、すごく優しい顔でアンテラを覗き込んだ。
「この上着はあなた方のでしょう?ほら、持って。私が窓を閉めて戸締りをしてあげますから、どうぞ二人とも先に行ってください」
「えー、一緒がいいなぁ」
「あ、あ、アンテラさんっ!ここはアキラさんに甘えて、先に行ってましょうよっ。ね、ねっ!ではアキラさん、お願いします!」
 サンテラがなぜかすごい形相で、ちょっとむくれたアンテラを引っ張っていった。嵐が過ぎ去ったみたいに、急に部屋がしんとなる。アキラはやれやれというように肩をすくめると、窓辺によって窓を閉めた。
「時人。……聞いてますか、時人?」
「な、ななななにっ!」
 どもってしまう、やたら腹が立つ、だからなんなのさ!きっと顔を上げると、アキラはなんでもない顔で僕に近い窓を指差した。
「そっち、閉めてもらえませんか?」
「……わかったよ」
 素直に従うのもどうかと思ったけど、手持ち無沙汰には勝てない。僕は窓をぴしゃりと閉めた。アンテラの嬉しそうな笑顔と、アキラの珍しい笑顔がまぶたにチラチラする。この二人って、こんなに仲が良かったわけ?いつから?そして、なんで?どうして、アキラはアンテラにはこんなに優しいわけ?
 それで、どうして僕には優しくないの?
「時人」
「なにっ!」
 イラっときて振り返ると、不意にアキラの手が僕の頬に触れた。
「たぶん私は、あなたのそんな顔も見たいんでしょうね」
 唇の端だけで笑いながら、アキラは僕の頬をむにっとつまんだ。
「どうせ見えないくせに。僕に触るなってば」
 僕はうそぶいて、アキラの手を振り払った。知ってるよ、どうせ見られてるって。どうしようもない敗北感。誰に負けるって?アキラに、それともアンテラに?たぶん、両方に。
「こんな時はあなたに触りたくなりますよね。誘っているように見えたので、つい。だから構いませんよね」
「つい?ついって何」
「こんな時だけ聞き返すんですか。聞き流してくれていて良かったのに」
 アキラはぐるりと実験室を見渡すと、ひとつうなずいて引き戸を開けた。
「さ、戸締りも済んだことですし行きましょうか。灯はどうやら先に行ったみたいですし」
 僕の返答も聞かずに、すたすた歩いて行ってしまう。僕は呆然とたたずんで、そして、言えない言葉が胸にこだまする。ねえ今、なんて言ったの?ああ、もう、君と一緒にいると、最低1日に1回は言いたくなる!それが楽しみなようになってきてる自分にも軽く滅入る。歯がゆくて悔しくて、それで、……嬉しくて。って、これがまた最っ高に悔しいんだってばっ!
「時人。行かないんですか?私と一緒に行くんでしょう?」
「……仕方ないから、『一緒に』行ってあげるよっ!」
 僕は頭をぶんと振って、アキラを追いかけた。何が『構わない』って言うわけ、大いに構うに決まってるじゃない!いつもアキラはこんなふうに、僕の指の間をするっとすり抜ける。それでいて、少しだけその気配を残していくところが小憎らしい。そして最も悔しいのは、僕は出会ってこのかた君に負けっぱなしで、それでいつか勝ってやろうと思って思ってそれが果てしなく遠く感じること、それで、君に負ける瞬間をなぜかなんとなく待ってしまうこと。
 そしてつまるところ、いつの間にか僕は、君を好きで、好きで、たまらなくなってしまっていること!

おかしなことをサラッと笑顔で言ってみる5題 [確かに恋だった] http://have-a.chew.jp/on_me/

Special thanks to 野菜様
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